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2012.06.04 (Mon)

僕と吹奏楽

いつもならHTMLタグ使いまくるのですが、別のところで書いた記事で、しかもスマートフォンからの更新なので、そこらへんお許しを

大体、吹奏楽部を卒部してからの、僕の音楽熱、特に吹奏楽熱は尋常じゃない。
今振り返れば、中学の頃の自分の知識の無さに驚愕、一体音楽の何を楽しんでいたのだろう?と首を傾げてしまう。
いやまあ一応答えを見つけてはいるけど。

今のような形で吹奏楽の魅力にのめり込み始める契機となった曲は、浦田健次郎作曲『セリオーソ』だと思っている。基本的に、ああいう曲に魅力を感じ始めた時点で、吹奏楽にのめり込むようになる人は多いように思える。

これと時期を同じくして、マーチの世界の広さを知る。中学時代に知っていたマーチといったら、せいぜい『マーチ「春風」』『ピッコロマーチ』『コンサート・マーチ「光と風の通り道」』『憧れの街』『マーチ「ブルースカイ」』『ナジム・アラビー』。そして、『行進曲「威風堂々」第一番』『アーセナル』『フローレンティナーマーチ』くらいとごく僅か。本当にありふれた中学生吹奏楽部員の知識。ちょっと少なすぎるんじゃないか、と思う。

マーチに対するステレオタイプを抱くにはちょうどいい知識量かと思われる。
そんなのだから、「マーチって面白くないな」なんて思っていた。

けれども出会ってしまった。色んなマーチに。それも、過去の課題曲集で。最初に出会って、自分のなかで衝撃的だったのは『スター・パズル・マーチ』だった記憶がある。そのまま、『ラ・マルシュ』『ポップス・マーチ「素敵な日々」』など聞いていき、そこで『ウィナーズ―吹奏楽のための行進曲』に出会い、完全にこの曲の虜に。諏訪雅彦作品に今もずっと惚れている。

その頃、マーチ以外の分野もどんどん自分の中で開拓されていき、真島俊夫さんの『波の見える風景』や『コーラル・ブルー 沖縄民謡「谷茶前」の主題による交響的印象』や、岩井直溥作品、他に、『ムービング・オン』などとポップス系課題曲にも惹かれつつ、衝撃の田村文生作品と出会う。

『饗応夫人~太宰治作「饗応夫人」のための音楽』を初めて聞いた時の印象は、もうすごいものだった。「こんなのが課題曲だったのか!!!!」
1回目聴いた時には理解に苦しんだ。でも、2回目以降聴いていると、どんどんこの人の魅力に惹かれ始めた。今では立派な田村文生ファンでもある。

また、小説『楽隊のうさぎ』でも取り上げられていた、『交響的譚詩~吹奏楽のための』。自分がこの本を読んだ中学生当時、「”譚詩”って”バラード”と訳されるんだ・・・」とだけ知って、さぞかし叙情的でメロディアスな曲なんだろうな、と思っていたから、この曲を聴いた時に、印象とのギャップに驚いた。
まさか花の木中学はこんな難曲に挑んで、それもさらっと吹いていたとは。

こうやって吹奏楽の魅力に引きこまれている内に、いつの間にか他ジャンル音楽にも興味が伸びていることに気づく。

管弦楽なら、ベートーヴェンに以前から興味はあったが、まあ古典派か、せいぜいロマン派のメロディックな曲ばかりだったけど、いつの間にかコンテンポラリーの方が好みに。
メシアンの『トゥーランガリラ交響曲』は一瞬で好きになったなあ。
A.シェーンベルクなんか、かつての自分なら好んで聴こうとはしなかっただろう。

そして出会った武満徹作品。
心にまで響いてくる、格別な音楽空間。
『セレモニアル』『フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム』は特にお気に入り。この人の曲で、休符というものの音楽性を初めて肌で実感したんじゃないか、と思う。


そして今は、三善晃作曲の合唱作品を聴きながらこれを書いている。三善作品といえば、『深層の祭』と『吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」』が課題曲として有名。特にこのマーチは大好きである。札幌オリンピックファンファーレもお気に入り。三善作品を聴き漁った日々もあったっけ。この人の曲も好きだなあ。


最近、また色んな作曲家の魅力を発見しつつある。長生淳、井澗昌樹、後藤洋、阿部勇一・・・尽きること無い世界。


「吹奏楽はオケの入門編」だって?「アマチュア=吹奏楽、プロ=オーケストラ(管弦楽)」だって?

とんでもない!

吹奏楽には吹奏楽にしか作れない世界、管弦楽には管弦楽にしか作れない世界がある。合唱には合唱だけの、弦楽合奏には弦楽合奏だけの、器楽ソロには器楽ソロだけの、それぞれ世界があるように。


世間一般の人が思っているより、吹奏楽の芸術レベルもかなり高い位置にまで登ってきている。ただ、世間での吹奏楽の地位は、特に日本ではあまり高いようには思えない。

吹奏楽の地位は、これから上がっていくのか、現状維持か、それとも下がっていくのか。

今を生きる自分たちに、この運命は託されている。


↓↓ビバ、吹奏楽↓↓

コメントも!!

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2010.09.02 (Thu)

結局は「ゲージュツ」漬けの六年間

"吹奏楽"についてに続いて、またもや持論です。

中学三年間は吹奏楽、高校三年間は俳句とクラブ活動に励みました。

言ってみれば、藝術漬けの六年間であったのですが、「藝術」って言うほど高尚なものなのかなー、って(せめて「芸術」って書けよ、とかいうツッコミは要りません)。

楽しんでいる本人としては、今の活動が藝術活動である、とか言われていても、ある意味一種の趣味・娯楽程度の認識で、そんな高尚な気持ちを持ち合わせてはいないんですよね。

ま、「ゲージュツ」ぐらいのかるい言葉遣いで十分な気もするんですよね。ちょっと軽すぎるかな?でもいいや。


この頃、全日本吹奏楽コンクールの全国大会の演奏を聴きあさっているのですが、同じ曲でも十人十色。
同じ曲でも違う団体が演奏すると、まるで違う曲、というような事だってよくあることです。

こういうのを楽しむのには、やはり課題曲っていいんですよね。
多くの団体が演奏しますし。(4,5曲も課題曲があるので、あまり演奏されない課題曲も出てきてしまうのが残念なんですが・・・)

特に、自分たちが演奏した課題曲、となると、聴いているときの想いが違います。
自分たちが演奏したことのないものでも、やはりコンクールに向けて懸命に練習した、という経験はありますから、「この団体も、僕たちがそうやってきたように、いや、それ以上に、必死に夏に懸けて練習してきたんだな・・・」と、演奏を聴くだけで何かこみ上げてくるものがあります。

勿論、僕の場合は、演奏者以外にも、「こうして一曲に一夏を捧げて必死に練習してくれるなんて、作曲者としても幸せだろうな・・・」って。
やっぱり、課題曲自体が、プロアマ問わず、公募に応募された作品の中から選ばれる、というのはいいですよね。


で、話が脱線気味なので、なんとしてでも戻します。


中学三年間は吹奏楽、高校三年間は・・・


すみません。戻しすぎました。
ドラえもんのタイムマシンって、危険ですよね。ドラミちゃんはチューリップ型で落ちる心配はありませんが、ドラえもんのものは、落ちる危険性が高すぎる!!(というか何度も落ちかけてるし)


はい。完璧に脱線しました。


で、話を本題に戻させていただきます。
やはり、全国で金賞を取るような団体のコンクールの演奏を聴いていても、どこも主張がありますね。
その主張が、やはり団体それぞれで、面白い。

「作曲者の意図に出来るだけ近づけて、『完璧』な演奏を目指したい」
というのも一つ。
「聴衆に心地よい音楽を提供したい」
というのも一つ。
「聴衆をこちらの世界に引き込みたい」
というのも一つ。
「とにかく、音楽の楽しさ、そしてそういった素晴らしさというものを、自分たちで確認すると同時に皆に伝えたい。」
というのも一つ。

本当にそれぞれです。
かなり正統派な演奏で、「完璧!」とか思わせるような演奏をするのも個性。
個性的な演奏で、「面白い!」とか思わせるのも個性。
何だって、個性です。
個性が見えるからこそ面白い。


そうやって、主張が見える、というのはとてもいいことだと思います。
自分のやりたいことをしてこそ、「ゲージュツ」だし、「藝術」です。


だからね~
他人の評価はさておき、
今回俳句甲子園に臨んだ句は全部、
「音楽と関連する言葉」
が盛り込まれていたんですよ~

そういう意味では満足ですよ。


自分のやりたいこと。
それができるかどうかなんて問題ないんです。

あるのかどうか。そして、やりたいことができるように、自分は努力しているかどうか。

そんなことを思ってしまう、今日この頃です。



夏は、感動の季節。
でも、吹奏楽は秋。

それでは。


↓↓ゲージュツ大好き♪↓↓
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2009.12.05 (Sat)

"吹奏楽"について

(週番日誌にも書いたような・・・ということは気にしない)

本当に、一個人の意見として参照いただきたいと思います。

個人個人、様々な意見があると思います。

決して、それらを否定するつもりではありません、ということを最初に断っておこうと思います。

皆さんは、「吹奏楽」についてどのようにお考えでしょうか?

吹奏楽・・・
日本中で、今、急速に広まりつつあります。
吹奏楽を知らない、なんて方はまずいないでしょう。

しかし、「吹奏楽とは?」と尋ねられたら、何と答えるのでしょう?

「ブラバン」
「バイオリン(弦)のないオーケストラ」
・・・

そんな程度ではないでしょうか?(オーケストラは、ここでは管弦楽団のこととします)

「ブラスバンド」と「吹奏楽」は根本的に違いますが(今回はここには触れないことにします。)
特に後者は、強ち間違いとも言い切れない面はあるでしょう。

しかし、正しい、とはいいかねます。

もちろん、「弦がなくてサックスが加わった編成」なんて、そんなくだらない解答ではありません。



確かにその通りなのですが、この解釈、どう思いますか?

「学生がする手軽で簡単なオーケストラ」=「吹奏楽」

のような認識でしかないのでは?と思います。


つまり、吹奏楽は、「せいぜい吹奏楽」というような認識でしかないのです。

プロ=オーケストラ
アマチュア=吹奏楽

というような認識の方もいらっしゃるかもしれません。


吹奏楽は、もともと軍楽、行進曲などといった用途の音楽から成長したもので、
もともと弦楽合奏という「藝術」に管楽器、打楽器が次々に加えられて大規模になったオーケストラと比べると、
一つの「藝術」としての演奏形態として世間に認められたのが遅い時期で、「最近」です。

だから、無理はないのかもしれません。

吹奏楽は、「今」流行りのポップスを演奏したり、オーケストラ曲の吹奏楽編曲を演奏するためのもの・・・ただそれだけなのでしょうか?

それだけなら、あまりにも悲しすぎます。


はっきり言います。

吹奏楽は、オーケストラとは全く違うものです。
入門者のためのオーケストラなんてことは、決してありません。



吹奏楽には、吹奏楽にしかない魅力があります。
他の編成では決して作れない空間、というものが吹奏楽にもあるのです。

オーケストラがオーケストラ曲を演奏するために存在するのなら、吹奏楽も吹奏楽曲を演奏するために存在するのです。


現に、今、多くの吹奏楽オリジナル曲が作られています。
これらの曲を聞けばわかります。
「吹奏楽でしか表現できない空間が、そこにはある」
ということが。


そうでなければ、「プロの吹奏楽団」なんて存在するわけもありませんし。



吹奏楽で、オーケストラ曲の吹奏楽編曲を演奏する、なんてこともよくあります。
駄目だ、なんてことはありませんが、あまり、好きではありません。
曲自体は、オーケストラのために書かれているのですから、それを編曲した楽譜が、オリジナルに敵う訳がありません。
どれだけ上手く演奏しても、所詮は「オーケストラ作品の編曲作品」でしかないのです。

シャープ系のオーケストラ曲が、フラット系の吹奏楽用に転調などされていたら、なおさらです。
もはや、別の曲です。
(過去の記事、"「調」から感じること"も参照)


曲は、そのオリジナル編成で演奏するのが一番です。
そこに、「作曲者の意図」が一番よくあらわれます。
別の人が、「作曲者の意図しないところで」編曲した作品が、オリジナル作品に勝るなんてことは、あるはずがないのです。

だから、「NSB」よりも、「NWR」の方が好きです。
(↑某有名プロ吹奏楽団が演奏している2種類のCDです)


吹奏楽とは・・・
一つの、独立した、立派な藝術の一分野。

それは、確実に言えることだと思います。
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